2014年04月30日

命の恩人 2014年4月30日

朝8時半高知医療センター到着。
駐車場から病院までが遠いのでちょと辛い。

早速採血をして結果待ち。

10時前に主治医問診。

血液状態は良好。

月曜の腫瘍マーカー結果が出ていて、ProGRP765あったのが500代に下がっており、効果有りの判定。

80%から64%に減量するけど、引き続き奏効して欲しいものだ。

抗がん剤投与の準備のため携帯を持たされて時間待ち。

薬局へ処方箋(デカドロン20錠)FAX後、がん相談所に立ち寄り。

いつも利用している薬局のFAXが壊れているそうで、隣の薬局にFAX送付。

11時過ぎからデカドロン二錠服用後、グラニセトロン注入、抗がん剤カルセド投与開始。ものの30分足らずで終了。はやくて助かる。

11時半過ぎに精算。

車ですぐ下の薬局へ。

初めての薬局だったので、いろいろ記入させられた。

12時半に高須で知人二人と待ち合わせをしていたのだが、何とか間に合って12時25分に到着。

久しぶりに寿司一貫に入った。
昼のランチ少しメニューが変わっていた。

久しぶりに会う知人だったので、いろいろ話しながらお寿司を食べた。

知人というか命の恩人の二人だ。

13時半過ぎにお別れをして14時に帰ってきた。

1時間ほど仮眠をして目が覚めた。

体調は初日&減量のため、いまのところ良好。

多分夜にデカドロンを服用すると思う。

デキサートと違って内服は微量調整が出来るのがいいところだ。

明日もカルセド投薬で、今朝と同じくらいに行かなければいけない。

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posted by SR400 at 18:43| Comment(0) | マイデータ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月29日

コルベ神父

マキシミリアノ・マリア・コルベ神父
(1894年1月8日 - 1941年8月14日)

先出のゼノ修道士とともに1930年に来日した。
同年「聖母の騎士出版社」、翌年には早くも「聖母の騎士修道院」を設立している。日本におけるカトリック布教活動を精力的に行っていたが、1936年に母国ポーランドのニエポカラノフ修道院の院長に選ばれたために帰国した。帰国後は祖国ポーランドでも精力的に布教を行っていたが、1939年にドイツ帝国がポーランド侵攻(第二次世界大戦の始まり)してきたため、修道院も没収されてしまう。
ドイツ軍はコルベ神父を利用しようとしたが、コルベ神父は断固として拒否した。そのためドイツ軍の恨みを買い、アウシュビッツ収容所に入れられてしまった。囚人番号16670。それが、コルベ神父につけられた番号だった。

1941年7月アウシュビッツ収容所から脱走者が一人出た。
脱走者はつかまらなかった。
その場合その班の責任となり、10名の収容者が死刑となる。
死刑の方法は餓死刑だ。
無作為に10名が選ばれたとき、その内の一人が
突然妻子を思って泣き崩れた。
「私には妻も子供もいる!死ぬのは嫌だ!・・」
囚人番号5659、ポーランド軍軍曹のフランシスコ・ガヨヴィニチェク。

この時、コルベ神父は囚人番号5659の身代わりを申し出た。

コルベ神父は他の9人と共に<死の地下室>と呼ばれる餓死監房に連れて行かれた。
のちに、このときの目撃者で収容所から生還した人々は、この自己犠牲に深い感動と尊敬の念を引き起こされたと語った。餓死監房は生きて出ることのできない場所だった。パンも水もなく、飢えは渇きよりも苦しく、多くが狂死する。
そこからは絶えず叫びやうめき声が響いた。ところが、コルベ神父が監房に入れられたときは、中からロザリオの祈りや賛美歌が聞こえてきた。
他の部屋の囚人も一緒に祈り歌った。彼は、苦しみの中で人々を励まし、仲間の臨終を見送った。そして<死の地下室>を聖堂に変えた。

2週間後には、彼を含めて4人が残った。
当局は死を早める注射を打つことにした。彼は注射のとき、自ら腕を差し出したという。このとき立ち会ったブルノ・ボルゴビエツ氏は、いたたまれず外に飛び出してしまった。
彼は囚人だがドイツ語ができたので通訳をさせられており、後日、コルベ神父の最期について貴重な証言をした。
8月14日、聖母被昇天祭の前日、コルベ神父は永遠の眠りについた。

47歳だった。

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posted by SR400 at 17:11| Comment(0) | 心に残る聖なる人々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

明日から2ndライン2クール目 2014年4月29日

明日から2ndライン2クール目

昨日から激しい雨が降りっぱなし。午後になって少し止んできた。明日には回復しそうだ。

先ほどまで衣替えのまねごとをしていたのでいささか疲れた。
もう冬服は必要ないかもしれんなあ。

明日からセカンドライン第2クール目が始まる。カルセド量は標準の64%だ。高知医療センターではここまでの減量は初めてだそうだ。カンファレンスでまだ若い?のでとりあえずやってみようという事になったらしい。あと3rdラインにはイリノテカン単剤を考えている。すごく往生際の悪いSRなのだ。

点滴の直前にデカドロンを2錠服用する予定だ。
なるようになるさ ってテレビ2がはじまったとか・・・今日が第2回目やなあ。見ないけど

それはそうと最近胃腸薬のつもりで飲んでいた薬が、緩い下剤だと判明したってか勘違いしてた。どおりでトイレの回数が多いと思った。いろんな薬があるので少々混乱してきたぞ。
ってことで食堂にてアイパッドで薬を調べなおして表記した。薬手帳めんどくさいので作ったことがない。

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posted by SR400 at 15:29| Comment(2) | マイデータ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月28日

午前中 2014年4月28日

今日は奥さん付き添いで高知医療センター
朝8時半前に到着。採血、レントゲン
がん相談所訪問
10時前主治医問診
11時前緩和ケア先生問診
清算後ドトールで休憩

1.主治医問診
血液検査の結果は問題なし。白血球、好中球良好。血小板17万。
カンファレンスを行った結果、抗がん剤カルセドの投与量は80%のさらに80%すなわち64%でとなった。ここまで減量しての経験はないそうだ。腫瘍マーカーは本日採取したので、一週間後くらいには出る。
2クール目は今週の水木金となった。
もし結果が思わしくない場合は、イリノテカン単剤も考慮する。
書きにくいんだけど、余命は半年くらい。

2.緩和ケア外来先生問診
・これまでの概略を説明。
・ホスピスに入る目安はパフォーマンスステータス3。
・まだまだ大丈夫そうとのこと。
・カルセドの副作用はデカドロンで調整。
・今後定期的に受診

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posted by SR400 at 14:12| Comment(0) | マイデータ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月27日

モコモコ 2014年4月27日

モコモコ

日中は晴天で陽気な天気。午後後半から曇り、今晩は雨だろうか。

今日も奥さん同伴で、杖をついて県営住宅の周りをヨタヨタと半周。大分草花の種類も変わりつつある。

帰りに自販機でミルクティを買って、車で休憩。
ドアと窓を開けると気持ちいい風が吹き、リクライニングを倒してすこしうたた寝。

正午過ぎに下の子供が様子を見に来てくれていた。
父は未だ何とか生きております。

明日は高知医療センター。第2クール目なんだけど、さてどうなりますか・・・
第1クールと同じメニューだと生命の危険を感じるんだけど 笑

↓北側にある低い山なんだけど、黄緑っぽく見えているのは木々の新芽である。モコモコとした感じでどんどん広がってゆく。いかにも南国高知という感じだ。

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posted by SR400 at 21:47| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゼノ修道士と北原怜子さん 2014年4月27日

ゼノ修道士と北原怜子さん

北原怜子さんのことを紹介したので、ゼノ修道士のことにも少し触れる。

ゼノ修道士はポーランド出身で1930年コルベ神父らとともに日本の長崎県に布教のために来日した。以降ゼノ修道士は日本を離れることなく生涯を日本で過ごすことになる。

彼らは長崎で「無原罪の聖母の騎士」という布教誌を発行し布教活動に専念した。やがて戦争が始まり、コルベ神父は所用で一時祖国ポーランドに帰国。ゼノさんはそのまま長崎に残り、原爆で被災する。

その後ゼノさんは、戦後の被災孤児や貧しい人のために全国的に支援活動を精力的に行った。

東京では東京赤羽に教会と修道院を建てるために奔走したり、当時浅草にあった戦災孤児・戦災難民のための廃品回収業の集落「蟻の町」のために奉仕し続けた。

そのときたまたま北原怜子さんの家にゼノさんが布教活動に行ったのが二人のであった最初だった。

もともと北原怜子さんはキリスト系学校を卒業して洗礼も受けており、ゼノさんの活動や「蟻の町」の実態に衝撃を受け、蟻の町に身を投じ、子供達の世話や教育、くず拾い、教会の設立などに奔走した。彼女はもともと結核で身体が弱く、無理がたたったのか、最後は本人の希望で「蟻の町」で帰天した。(享年27歳)

彼女の死後もゼノさんは積極的に活動を続け、戦後復興の後も弱い人のために様々な支援活動を精力的に続けた。
ちなみに彼の口癖は「ゼノシニヒマナイネ」だった。

1981年2月来日した教皇・ヨハネ・パウロ2世は、ゼノ修道士の入院先を訪問し、長年の活動に敬意を表した(このとき自らもポーランド出身である教皇は、ゼノさんにポーランド語で話しかけている)。1982年4月24日、永眠。享年91歳。

なおゼノさんのことに触れたら、コルベ神父のことも少し触れなければならないのだけど、いささか気が重いので少し時間をちょうだいしたい。


カトリック潮見教会
http://www17.ocn.ne.jp/~shiomicc/frame_j.html

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posted by SR400 at 17:43| Comment(0) | 心に残る聖なる人々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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