アントニオ猪木議員と北朝鮮
アントニオ猪木氏はもともとプロレスラーであり、昭和30年代のヒーロー力道山にブラジルで見いだされ、弟子となった。
今は亡きジャイアント馬場も同じく力道山の弟子であり、当時は力道山は馬場をかわいがり、猪木を徹底的にしごいたと聞く。
さてその力道山だが、彼は北朝鮮出身である。当時は日韓併合の時代であったが、単身船で日本(長崎)に渡り養子となって日本国籍を得る。その後相撲取りとなり関脇まで昇進したが、突然相撲取りを廃業した。
その後プロレスラーを志し単身渡米して修行を積み、日本に帰国後はプロレス団体を興し、米国からプロレスラーを呼んで試合を行った。ちょうどTVが普及し始めた頃で、日本人はにっくき白人を痛めつける力道山に、夢中になった。そのときタッグを組んだ日本人レスラーは柔道家の木村政彦氏であった。力道山は1963年(昭和39年)、飲み屋での暴力団員とのいざこざで腹を刺されそれがもとで亡くなっている。
っと話が脱線してしまった。
当時の猪木氏は多くの日本人がそうであったように、力道山が北朝鮮出身であることを知らなかった。知ったのはずっと後になって平成元年(1989年)のこととされている。
国会議員となった猪木氏がこれまでに再三北朝鮮を訪れる(30回近い)理由は色々あるだろうが、師匠である力道山の影響は大きいと思うのはSRだけだろうか。
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